世界三大時計ブランドの一つとして名を馳せるオーデマ ピゲ(AUDEMARS PIGUET)。ネット上では「ロイヤル オーク」や「ラグジュアリースポーツの元祖」といった華やかなトピックが注目されがちですが、文献から浮かび上がるのは、効率化を拒絶し、逆境をアイデアでねじ伏せてきた「強烈な反骨精神」と「ジュウ渓谷の守り神としての顔」です。今回は、そうした奥底にある知られざる歴史と狂気のエピソードを中心にご紹介します。
■ 産業化に「NO」を突きつけた、1951年までの「全品1点モノ」の歴史
オーデマ ピゲが創業した1870年代当時、スイス時計界はアメリカから導入された電動工作機械による「工業化(量産化)」の波に直面していました。しかし、複雑機構を得意としていた彼らは、効率的なマニュファクチュール化に背を向け、熟練職人の手仕事による伝統的な分業制「エタブリサージュ」を堅持する道を選びます。
驚くべきことに、同社は創業から1951年に至るまで、「同じ時計を複数作る」という概念を持たず、製作した時計のすべてが1点モノ(ユニークピース)でした。1951年になってようやく、時計界でも先駆けとなる「リファレンス(モデル番号)」を導入して同じ時計を複数作るようになりますが、それでも1971年までに100本以上製造されたモデルはわずか20種類に留まっています。量産を良しとせず、真に価値ある時計を少数の愛好家へ届けるという、狂気的なまでの誇りがそこにはありました。
■ 世界恐慌と戦争の「逆境」が生んだスケルトンと小型化
1929年の世界恐慌や第二次世界大戦の影響により、同社の年間生産数はわずか50本にまで激減し、倒産の危機に瀕しました。しかし、この逆境こそが彼らの創造力を爆発させます。
苦境を乗り切るため、彼らはそれまでメゾンになかった「スケルトンウォッチ」の開発に活路を見出し、これが現在に至るまでブランドを代表する技術の一つとなりました。さらに、大きな懐中時計の複雑機構を極小化して腕時計に搭載することに挑戦し、ジャンピングアワーや極薄ムーブメントなど、後の時計界を牽引する新機軸をこの「どん底の時代」に次々と打ち出していったのです。
■ 楽器製造エンジニアまで巻き込む「音」への異常な執念
1892年に世界初のミニッツリピーター搭載腕時計を開発した同社ですが、その「音」に対する執着は常軌を逸しています。近年開発された「スーパーソヌリ」機構では、ローザンヌ工科大学や楽器製造エンジニアと共同研究を実施。ムーブメントの外周に取り付けるのが常識だったゴング(鐘)を、特殊合金製の音響板に固定するという画期的な構造を生み出しました。
これにより、従来のミニッツリピーターとは逆に「手首に装着したときに音が共鳴して大きくなる」という、これまでの常識を覆す豊かな音色と音量を実現しています。
■ 「他社製の時計でも直す」という究極のメゾンの良心
スイスには数多の時計ブランドがありますが、1875年の創業から現在に至るまで、「一度も途切れることなく創業者一族(オーデマ家とピゲ家)による家族経営が継続されている」のは、主要メゾンの中でオーデマ ピゲただ一つです。巨大グループの傘下に入らないことで、投資家の声に煩わされることなく、自分たちが信じる時計製作に没頭し続けています。そして、彼らが拠点を置く「ジュウ渓谷」の時計産業を自ら守り抜くという強烈な使命感を持っています。
本社のアフターサービス部門には100年以上前の手動旋盤が今も現役で稼働しており、自社の古い時計を完璧に修復するだけでなく、「同じジュウ渓谷で作られた懐中時計であれば、他社製であっても最後まで修復の面倒を見る」という信じがたい方針を貫いています。
オーデマ ピゲの時計が放つ圧倒的なオーラは、見栄えの良さだけではなく、効率化を拒絶し、逆境をアイデアでねじ伏せ、故郷の時計文化そのものを背負って立つ「不屈の魂」が宿っているからこそと言えます。
