
1828年にロシアのサンクト・ペテルブルグで創業し、スイス時計界の発展にも大きく貢献した名門「H.モーザー(H. MOSER & CIE.)」。
一般的なネット記事やカタログでは、「美しいグラデーションを描くフュメダイヤル」や「一切の無駄を排除したミニマリズムの極致」、「年間約1500本しか生産されない希少な時計」といった、上品で優等生的な評価が並びます。しかし、その設計思想とユーモアの裏側を紐解くと、その真の姿は「『ロゴすらなくても自社の時計だと分かるはずだ』という強烈なエゴイズム」であり、さらには「スマートウォッチを全力で皮肉るために最高峰の機械式時計を作り上げるマッド・ジョーク」、そして「ひげゼンマイまで自作してしまう偏執狂的なマニュファクチュール」であることが浮かび上がってきます。
今回は、エレガントな「Very Rare」というスローガンの裏に隠された、H.モーザーの知られざる狂気とアンチテーゼについてご紹介します。
ロゴすら不要。究極の引き算「コンセプト」と「ベンタブラック」の狂気
H.モーザーを象徴するのが、煙のように美しいグラデーションを描く「フュメダイヤル」です。彼らはこの文字盤に対して異様なまでの自信を持っており、「ブランドロゴやインデックスがなくても、一目でH.モーザーだと分かるはずだ」という強烈な自負から、文字盤からすべての表記を排除した「コンセプト」シリーズを展開しています。
極めつけは、特殊素材「ベンタブラック」を採用したモデルです。光の99.965%を吸収する「世界で最も黒い人工物質」を文字盤に塗布し、ブラックホールのような漆黒の闇に針だけが浮かぶという異様な空間を創り出しました。究極の引き算の美学「Less is More」を、常軌を逸したレベルの自己顕示欲で表現しているのです。
全力でスマートウォッチを皮肉る「スイス・アルプ・ウォッチ」
彼らのマッドなユーモアが爆発したのが、2016年に発表された「スイス・アルプ・ウォッチ」です。どこからどう見ても某有名スマートウォッチにそっくりな長方形ケースでありながら、液晶画面ではなく、裏を返せば毎時1万8000振動で鼓動する自社製の超本格的な手巻きムーブメントが鎮座しています。
さらに「ファイナル アップグレード」と名付けられたシリーズ最終版では、ベンタブラックの真っ黒な文字盤の6時位置に、スマートウォッチのローディング中(スリープ状態)の「クルクル回るアイコン」を模したスモールセコンドを配置してしまいました。最新のデジタル機器を、あえて伝統的な機械式時計の最高峰の技術を使って全力で皮肉るという、スイス時計界きってのアヴァンギャルドなジョークをやってのけたのです。
超複雑機構を極限まで隠匿する「パーペチュアルカレンダー」の矛盾
複雑機構(コンプリケーション)に対するアプローチも変態的です。通常、永久カレンダー機構は文字盤に複数のインダイヤルを並べて複雑さを誇示しますが、H.モーザーの「パーペチュアル1」は、一見するとただの3針デイト時計にしか見えません。月表示はセンターの小さな矢印針で控えめに示し、うるう年表示はあろうことかムーブメントの裏側に隠してしまいました。
しかしその内部は超ハイスペックで、月末から翌月1日へ日付が瞬時に切り替わり存在しない日付を表示しない「フラッシュ・カレンダー機構」を備え、いつでも前後どちらにも調整可能という圧倒的な実用性を誇ります。超絶的なメカニズムを開発しておきながら、それを極限まで見えないように隠匿するという、ドMなまでの美学が貫かれているのです。
ひげゼンマイを自作し「ダブル」でねじ込む偏執狂
外装の極端な引き算とは裏腹に、内部のムーブメントには過剰なまでの情熱を注ぎます。スイスのブランドでも極めて稀なことに、時計の心臓部である「ひげゼンマイ」まで自社で一貫製造しており、その許容誤差はわずか5ミクロン以下という精密さを誇ります。
それだけでは飽き足らず、2つのひげゼンマイを上下で反転させてセットする独自の「シュトラウマン・ダブルヘアスプリング」を開発。重力による悪影響や伸縮時の重心の偏りを物理的に相殺するという、超絶的なマッド・エンジニアリングを平然と組み込んでいます。また、メンテナンス性を高めるために、脱進機部分をモジュール化して丸ごと交換可能にした「インターチェンジャブル・エスケープメント」という変態的な構造も採用しています。
H.モーザーは、単なる「美しいグラデーション文字盤の時計」ではありません。その本質は、ロゴすら不要とする強烈なエゴイズム、スマートウォッチを最高級機械式で皮肉る過激なユーモア、超複雑機構をシンプルに偽装する引き算の美学、そしてひげゼンマイまで自作する偏執狂的な技術力が一体となった、「究極のミニマリズムを隠れ蓑にして、スイス時計界に強烈なアンチテーゼを突きつけるマッド・マニュファクチュール」なのです。
