
天才時計師が自らの名を冠し、1992年に創業した「フランク ミュラー」。ネット上の記事では、「三次元曲面の美しいトノウ・カーベックス」「数字がバラバラに配置されたクレイジー・アワーズ」「文字盤にルーレットを備えたヴェガス」といった、華やかで遊び心あふれるデザインやギミックが定番のトピックとして語られます。
しかし、このブランドの深層を紐解くと、その真の姿は「『正確に時間を測る』という時計の絶対的な使命を、自らの哲学と美学のためにあっさりと放棄する異端児」であり、「不可能と言われた三次元曲面を成立させるために時計界の常識を覆す力技を使うマッド・エンジニア」であることが浮かび上がってきます。今回は、「マスター・オブ・コンプリケーション(複雑時計の巨匠)」の異名を持つフランク ミュラーの、知られざる変態的なエピソードをご紹介します。
■ 「楽しい時間は短く、退屈な時間は長い」を機械式で完全再現
ランダムに数字が並ぶ「クレイジー・アワーズ」は有名ですが、フランク ミュラーにはさらに人間の感情に踏み込んだ狂気的なモデルが存在します。それが「イレギュラー・レトログラード・アワー」です。
「楽しい時間は速く過ぎ、退屈な時間はゆっくりとしか流れない」という人間の心理に着目した彼は、あろうことか「時間帯によって針の進むスピードが変わる」という時計を作ってしまいました。仕事がない朝と夕方、そしてランチタイムの時間帯は、レトログラード針の運針幅が広く設計されており、文字盤上で「時間がゆっくりと進む」ように見えます。時計の「等しく時を刻む」という大前提すらも、人間の感情表現のために機械式プログラミングでねじ曲げてしまう究極のエゴイズムです。
■ 心臓部を見せるためだけに「時分針を避難させる」変態ギミック
重力の影響を相殺する複雑機構「トゥールビヨン」。多くのブランドがこれを採用していますが、2002年発表の「レボリューション2」において、フランク ミュラーはその見せ方に常軌を逸したギミックを組み込みました。
なんと、ケースサイドのボタンを押すと、文字盤にあるフライングトゥールビヨンがグッと上へ「せり上がってくる」のです。しかもその瞬間、トゥールビヨンの姿を見る邪魔にならないよう、時分針が瞬時に12時位置に集まって存在を消す(避難する)という仕掛けになっています。ボタンを離せば、時分針は再び正しい時刻へと戻ります。時刻の読み取りを放棄してまで、複雑機構の動きを鑑賞することに全振りしたエンターテインメント・ギアです。
■ 完璧な三次元曲面を死守する「紫外線接着」と「煮沸」の力技
フランク ミュラーの代名詞である「トノウ・カーベックス」のケースは、縦・横・斜めのすべての軸において完璧な三次元曲面を描いています。しかし、この極端な曲面ゆえに、風防ガラスの取り付けには時計界の常識が通用しませんでした。通常の時計はガスケット(パッキン)を介してガラスを圧入しますが、この複雑な曲面のサファイアクリスタル風防では不可能なのです。
そこで彼らは、なんと「紫外線で硬化する特殊な接着剤を使って、風防を直接固定する」という力技に出ました。ちなみに、傷がつくなどして風防を交換する際は、「時計を20分ほど煮沸して接着剤を溶かし、取り外す」という、超高級時計らしからぬ極めてアナログな手法がとられています。美しいプロポーションを死守するためなら、伝統的なセオリーすらあっさりと捨て去る執念です。
さらに文字盤の製造においても、ロボットを使ってラッカーを「1層吹き付けては45分乾燥させる」工程を25回も繰り返す異常な手間をかけ、微細なインデックスへの色入れは、職人が「注射器型のシリンジ」を足踏みペダルで操作しながら手作業で行っています。
■ 「2100年の壁」を突破した1000年カレンダー「メガ4」
複雑機構の第一人者としての真骨頂は、カレンダー機構に表れています。通常の「永久カレンダー」は、西暦2100年に閏年の例外ルール(100で割り切れる年は平年)が適用されるため、手動での調整が必要になります。しかし、超絶複雑時計「エテルニタス・メガ4」に搭載された「エターナル・カレンダー」は次元が違います。
なんと、「100年周期の平年」はもちろん、「400年周期の閏年」というグレゴリオ暦の法則までを完全に機械式でプログラミングしてしまったのです。これにより、ムーブメントが動き続ける限り「1000年先までカレンダーの再調整が不要」という、人間の寿命を遥かに超えた神の領域に達しています。
フランク ミュラーは、単なる「芸能人やセレブが着ける派手な時計」ではありません。その本質は、人間の感情で針のスピードを変え、魅せるためだけに針を退避させ、煮沸してガラスを外し、1000年先の暦まで機械で計算し尽くす、スイス時計界における「最もロマンティックでクレイジーな天才集団」なのです。
