国産時計の王者であるセイコーにおいて、グランドセイコーと双璧をなす最高峰のドレスウォッチブランド「クレドール(CREDOR)」。1974年に貴金属を素材とした「特選腕時計」をグループ化して誕生し、フランス語で「黄金の頂き」を意味する名が与えられています。
ネット上の記事では、1979年に天才時計デザイナーのジェラルド・ジェンタ氏が手がけた名作「ロコモティブ」の復刻や、上品で薄型のエレガントな時計として紹介されることが多いブランドです。しかし、文献から読み解くクレドールの真の姿は、「日本の伝統工芸と独自のハイテク技術の融合」、そして「スイスの超複雑時計に真っ向から勝負を挑む、マイクロアーティスト工房の狂気」にあります。今回は、単なる国産高級ドレスウォッチという枠には到底収まらない、クレドールの恐るべき深層に迫ります。
■ ジェンタが直々に命名した「機関車(ロコモティブ)」の真実
1979年、オーデマ ピゲの「ロイヤル オーク」などを生み出したジェラルド・ジェンタ氏をデザイナーに起用して誕生したのが「ロコモティブ」です。このモデルは、彼が「クレドールを牽引し、未来を担うモデルになってほしい」という強い願いを込めて、自ら「機関車(引力となるもの)」を意味する「ロコモティブ」と命名しました。
2024年のブランド誕生50周年を機に復活したこのモデルは、オリジナルへの敬意からデザインを忠実に再現しつつも、恐ろしいほどのアップデートが施されています。ジェンタデザインの象徴である6角形モチーフ(ベゼルのビスやリューズ、文字盤のパターンなど)を踏襲しながら、ケースとブレスレットの素材には、ステンレススチールよりも約30%軽量で耐傷性にも優れる独自の「ブライトチタン」を採用。
さらに、専用設計された自動巻きムーブメント(Cal.CR01)を搭載することで、機械式でありながらオリジナルのクォーツモデルと同様の「厚さ9mm以下」という驚異的なエレガントフォルムを実現しています。
■ スイス時計界を震撼させた「日本で唯一の鳴り物時計」
クレドールの凄みは、超複雑機構(コンプリケーション)の分野で頂点を極めている点にあります。2006年に国産初のコンプリケーションとして、美しい鐘の音で時刻を知らせる「ソヌリ」を発表し、2011年には任意の時刻を音で知らせる「ミニッツリピーター」を完成させました。
特筆すべきは、セイコー独自の駆動機構「スプリングドライブ」と融合させていることです。機械式時計の脱進機のカチカチという作動音がしない無音のスプリングドライブだからこそ、純粋で澄み切った鐘の音だけを響かせることができるのです。
さらに、音を奏でるゴングの素材には、姫路城下で代々鍛冶師を営む明珍家の第52代当主・明珍宗理氏が鍛造した特製の鉄材を使用。また、リピーターの調速(ハンマーを打つ速度を一定にする仕組み)には、歯車の摩擦音が出ないよう「空気の粘性(空気抵抗)を利用した無音の調速機構」を採用するという、日本の美意識とハイテクが融合した途方もない設計が行われています。
■ マイクロアーティスト工房の執念と「リンドウの茎」
これらの超絶モデルや、名作「叡智(えいち)」などの最高峰モデルを手がけているのが、黄綬褒章受章者を含む「現代の名工」たちが所属するセイコーエプソンの「マイクロアーティスト工房」です。
彼らの仕上げへの執着は、スイスの雲上ブランドすら凌駕するほどの狂気を孕んでいます。地板や歯車の軸受け、ネジに至るまですべて手作業で磨き上げられますが、特に軸受けの斜面を歪みのない完璧な鏡面に磨き上げるために、ジャンシャンと呼ばれる「乾燥させたリンドウの茎」に研磨材を付けて磨くという、古の伝統的かつ極めて難易度の高い手法が現在も用いられています。
■ 捨てられるエネルギーを回収する変態的機構「トルクリターンシステム」
極限まで研ぎ澄まされたシンプルウォッチの最高峰である「叡智(えいち)」コレクションには、2008年に世界で初めて開発された「トルクリターンシステム」という信じがたい機構が搭載されています。
巻き上げられたばかりのゼンマイはトルク(力)が強すぎますが、通常はその強すぎる余分な力をブレーキをかけて捨てています。しかしクレドールは、スプリングドライブの特性を活かし、その有り余るトルク(無駄になるはずの力)を回収し、なんと「ゼンマイが自らを巻き上げる」ために再利用するという機構を開発したのです。これにより、駆動時間を大幅に向上させるという物理学の限界に挑むようなメカニズムを、極めてシンプルな文字盤の裏側に静かに隠し持っています。
「クレドール」は、単なる金無垢のラグジュアリーウォッチではありません。ジェンタの魂を受け継ぐアヴァンギャルドな外装と、明珍の鍛造ゴングやリンドウの茎といった「日本の伝統工芸・技術」、そしてトルクリターンやスプリングドライブという「世界最先端のハイテク」が、時計師の狂気的な手仕事によって結実した、日本が世界に誇る「究極の芸術作品」なのです。
