オリンピックの公式計時や、映画『007』のボンドウォッチ、そして人類初の月面着陸に同行した「スピードマスター」など、華やかなエピソードに事欠かないオメガ(OMEGA)。
しかし、時計愛好家やエンジニアたちがオメガに抱く真の畏怖は、そうした伝説の裏にある「300年間変わらなかった時計の基本原理を書き換え、それを強引に量産化してしまう技術力」と、「自ら過酷すぎる規格を作り、それを全モデルでクリアしていく実証主義の狂気」にあります。今回は、華々しい神話の裏に隠された、オメガの「究極のエンジニア集団」としての変態的な深層に迫ります。
■ 誰も量産できなかった「コーアクシャル脱進機」への執念
機械式時計の心臓部(脱進機)は、長らく「スイスレバー式」と呼ばれる摩擦が生じやすい機構が主流でした。1970年代、天才時計師ジョージ・ダニエルズ博士は、パーツ同士の摩擦を極限まで減らし、潤滑油をほとんど必要としない画期的な「コーアクシャル(共軸)脱進機」を発明します。
しかし、この理論は素晴らしかったものの、製造が極めて困難であり、スイスの多くの名門ブランドが量産化を諦めました。そんな中、オメガだけがこの機構の量産化に執念を燃やし、1999年に時計界で約300年ぶりとなる脱進機革命の量産化を成し遂げました。これにより、オメガの時計は長期間にわたって高い精度を維持し、オーバーホールの推奨期間を大幅に延ばすことに成功したのです。
■ 軟鉄カバーを投げ捨てた「1万5000ガウス」の逆転の発想
現代の時計にとって最大の敵は「磁気」です。かつての耐磁時計は、磁気を防ぐためにムーブメントを「軟鉄製のインナーケース」で覆い隠すのが絶対的なセオリーでした。
しかしオメガは、「時計をカバーで覆うのではなく、ムーブメントのパーツ自体を磁気を帯びない非磁性素材で作ってしまえばいい」という根本的な逆転の発想に打って出ました。ヒゲゼンマイにはシリコンを採用し、さらに「ニヴァガウス」という独自の非磁性合金を開発。
これにより、医療用のMRIに相当する1万5000ガウスという途方もない強磁場に耐えながら、なんと「裏側をシースルーバックにしてムーブメントを丸見えにする」という、過去の耐磁時計の常識を粉砕する離れ業をやってのけたのです。
■ 宇宙空間でガラスの飛散を防ぐ「ヘサライト風防」の真実
大定番である「スピードマスター プロフェッショナル(ムーンウォッチ)」は、現代の高級時計では当たり前となったサファイアガラスではなく、あえてキズがつきやすい「ヘサライト(強化プラスチック)風防」を伝統的に採用し続けているモデルが存在します。
これには明確な理由があります。無重力の宇宙空間で、もし硬いガラス風防が割れてしまった場合、目に見えないほど細かなガラスの破片が宇宙船内に飛散・浮遊し、精密機器や宇宙飛行士の目や肺に入り込むという致命的な大事故につながります。ヘサライト風防であれば、強い衝撃を受けてもヒビが入るだけで粉々には砕け散りません。
キズのつきにくさよりも「絶対に破片を散らさない」という極限の安全性を求めたNASAの要求であり、オメガは今もその実用性の極致を頑なに守り続けているのです。
■ 自ら作った過酷すぎる拷問テスト「マスター クロノメーター」
オメガの狂気は、自社の時計をテストする「規格」の異常な厳しさにも表れています。彼らは時計業界の標準であるCOSC(スイス公認クロノメーター)の精度テストだけでは飽き足らず、スイス連邦計量・認定局(METAS)と共同で「マスター クロノメーター」という新たな規格を制定してしまいました。
このテストは常軌を逸しており、完成した時計を1万5000ガウスの強力な磁場の中に直接放り込んで動作を確認し、さらに複数の温度や姿勢差での精度、防水性などを10日間にわたって厳格にチェックします。自ら極限までハードルを上げ、それを量産モデルで次々とクリアしていくという、圧倒的な自信と実証主義の塊です。
さらに近年では、「スピレートシステム」と呼ばれる驚異的な微調整機構を開発し、なんと「日差0〜+2秒」という機械式時計の限界を突破するような超高精度まで量産化し始めています。
オメガの真の姿は、アポロ計画やオリンピックといった輝かしい歴史にあぐらをかくブランドではなく、常に物理学と素材工学の最先端で時計の限界を物理的に突破し続ける、「生粋のマッド・エンジニア集団」なのです。
